純太郎さんのトリビュートライブを終えて。

5月21日。無事に純太郎さんのトリビュートライブを終えました。 ライブが終わって、純太郎さんが歌っていたお店で働いていた優子ちゃんが、「純太郎さんが歌っていた歌を聴いていると、いろんな思い出が巡って来た。ありがとう」と。

「北九州音楽全史」出版記念ライブ|175Rに感動

今日は、純太郎さんの追悼ライブの事で小倉に出向きました。 出版記念ライブは見るつもりなくて、ご挨拶だけの予定だったけどライブを見る事にしたの。 私は175Rを知らなくて、数年前まで読み方も知らなかったの。 わたし、ちょっ …

「福田純太郎 追悼ライブ」決まりました。

「ママ、あの店、あまり大きくなかったね。純太郎さんの知り合いが来てくれて椅子が無かったらどうしよう・・・」 「あんた、何言ってるのよ!それでも、いっぱい呼ぶのよ!立ち見が居てもいいの!入れなかったという人が居てもいいの! …

純太郎さんと親しかった人たちに会えた1日。

純じぃに預けていたボンゴが戻って来てから、弟のデイブちゃんによく会って話すようになった。 今まで、当たり前に、生きているだろう、と思っていたからか、訊きもしなかったような事を、デイブちゃんに訊く。デイブちゃんは嬉しそうに …

チェ・ゲバラへの憧れ|キューバへの希望

純じぃは、星のついたベレー帽をいつもかぶってた。 チェ・ゲバラが好きだった。多分大好きだった。 純じぃにとって、キューバは希望であり、チェ・ゲバラに希望と憧れを持っていたのかもしれない。

北九州ロック村の住人に救われた中学生(わたし)

私は子供(中学)の頃、北九州のロック村の住人に救われた一人だと思います。 私は北九州市門司区から山口県下関市の私立の中学に通っていました。なんでわざわざ下関の中学に行っていたかというと、小学校ですごい苛めに遭って、体がア …

声が衰えても、ずっと、歌い続けた純じぃへ。

先日、純じぃに預けていたキューバのボンゴが出てきたと、弟のデイブちゃんから連絡があった。 デイブちゃんはピアノ弾きで、私が23歳くらいの時(30年前)に働いていた店のピアニストで、多分北九州では私の歌伴を嫌がらずに、他の …

鮎川さんに会わせてくれた純じぃを大好きになる。

2022年大晦日。純太郎さんの弟からメッセージを受け取りました。 12月29日に純じぃ(福田純太郎さん)が亡くなったと。 暫く会ってなかったのでなんだかピンと来なかった。だけど、もう体の痛みから解放されたんだ、って思った …