鮎川さんに会わせてくれた純じぃを大好きになる。

2022年大晦日。純太郎さんの弟からメッセージを受け取りました。

12月29日に純じぃ(福田純太郎さん)が亡くなったと。

暫く会ってなかったのでなんだかピンと来なかった。だけど、もう体の痛みから解放されたんだ、って思った。

私は気づいたらどこかに行っている。

ニューヨークだったり、メキシコだったり、キューバだったり。バックパックを持ってどこかの国に居たり。居場所がない私は、ウロウロしてた。

純じぃと仲良くなったのは2011年に横浜から小倉に戻って来て、「なしか de sion」というお店に時々お手伝いに行くようになってから。それ以前にも何度か会ってたけど、そんなに親しくなかった。

その年の夏、友達がシーナ&ロケッツのコンサートのチケットをくれた。

小学生の頃に憧れてたシナロケを初めて生で見た。

純じぃに言うと、純じぃはどうやら、鮎川誠さんと仲がいい?後輩?え?まじ?

高塔山のライブの告知が小倉のチャチャタウンというショッピングモールであると知った。

純じぃに言うと、行ったら自分の名前を出せという。名刺にメッセージを書いてくれた。

「この子、よろしく」と。

え?マジで親しいの?

当日、純じぃは来てくれた。

鮎川さんとシーナさんに紹介してくれた。

脚が悪いから、杖を持って。

 

高塔山のコンサートも、私が打ち上げに参加できるようにと、高塔山まで来てくれた。

純じぃはその日、何度も「ミナミが・・・」と言ってた。その「ミナミさん」は亡くなったらしく、純じぃはミナミさんが大好きみたいだった。その「ミナミさん」はルースターズの前身の「人間クラブ」というバンドをやっていた人で、すごくいいヴォーカルだったらしい。

南浩二さん。

純じぃはミナミさんが大好きだったんだ。

そんな純じぃを見て、なんか、「めんたいロック」というサイトを作りたいと思ったんだ。

多分さ、あのシンプルで、ストレートなめんたいロックって呼ばれるロックはこの街(北九州)のブルースなような気がしたんだ。この街特有の・・・なんというか、抑圧とか、めんどくささ、というか、クソというか、で、人情もある。私はこの街が苦しくて、何度も逃げて行った。でも、そういうのがあるから、ブルースって生まれるんじゃないかって思う。

そういう抑圧みたいなのがなくなったら、多分、ブルースとかって生まれなくなるんじゃないかとか思う。

わたしにはブルースがない。ちょっと抑圧されると、我慢できなくて、逃げていくから。私の中にはブルースは育たないんだ。

 

純じぃは高塔山ジャムの打ち上げに連れて行ってくれた。

サンハウスの柴山さんもいた!!!

私が中学生の頃に再結成をして「クレイジーダイヤモンズ」というアルバムを出してて、かなりよく聴いてた。ちょっと怖い人かと思ったら、なんだかかわいいおじさんだった❤。

 

鮎川さんとシーナさんにも会えた!

乾杯した!

私は純じぃが大好きになった。

 

純ジィ、そっち側には、ミナミさんや、鮎川さん、シーナさんもいるね。きっと寂しくないね。