純じぃは、星のついたベレー帽をいつもかぶってた。
チェ・ゲバラが好きだった。多分大好きだった。
純じぃにとって、キューバは希望であり、チェ・ゲバラに希望と憧れを持っていたのかもしれない。
時々、純じぃのFacebookの投稿を見ると、戦後何かを失って、それが何だったのかを、探しているような気がした。
アメリカに憧れながら・・・。どこで、私たち(日本人)は魂を亡くしたのだろうかと。つかみどころが解らない、落としどころが解らない、矛盾。
私は、アイデンティティの喪失というか、疑問とか、怒りとかあった。それが憧れやアメリカ音楽への愛情と相混ざって、つかみどころがなく・・・。
キューバに行かなきゃ、住まなきゃ、気が済まなった。
私は、キューバへ行った。
キューバに住んだ。
キューバで現実を見て、経験して、考えて、考えて、考えて、もう何も言わなくなった。
よく解らないけど根深くあった「アメリカへの憧れ」の感覚は、無くなった。
日本人として、アメリカの音楽や文化と真剣に向き合うと、この矛盾に気づくのかもしれない。
キューバは魂をどこかで亡くした日本人にとっての憧れであり、希望なのかもしれない。
純じぃにとってチェ(キューバの人たちはCheというの)は、希望と憧れのアイコンだったんじゃないかと思う。
純じぃにキューバに来てほしかったよ。
キューバの音楽と、キューバの風と、キューバの不便な暮らしと、キューバ人の笑顔と。チェと、フィデル(カストロ)を、キューバで感じて欲しかったよ。
純じぃのFacebookで写真を探してたら、こんな投稿を見つけました。
キューバの細巻きの葉巻をお土産に持って行った日の写真。
そういえば、じゅんじぃ、もしも、ダニーのパパに会ってたら、ダニーのパパを大好きになってたと思う。ダニーのパパはチェと私が大好きだったからね。音楽も大好きだし、歌うたいだからね。
純じぃがスペイン語が話せたら、凄く盛り上がってたと思うよ。
天国であうかもだね。