福田純太郎

この話を聞いたとき、「こんな面倒くさい事をよくするな」と思った。

この子(セーナ)はどっかおらんと思ったら、アメリカ行っとったり、体当たりで世界の超一流のジャズミュージシャンと親しくなってサポートしてもらっていたり、いつも彼女の行動には予想がつかない。そんな彼女から突然、「めんたいロック」のサイトを立ち上げたいからと連絡があった。

俺にとって北九州のロックというと、南浩二(「人間クラブ」ルーズターズの前身のバンドのボーカリスト。2010年永眠。享年49歳)を思い出す。浩二が亡くなってから、家内も俺も心の中にぽっかり穴が空いていた。「めんたいロック」のサイトに協力する事で、浩二たちのロックを次の世代に残せるのなら天国の浩二もきっと喜ぶのかもしれない。

「めんたいロック」がなんなのかは俺たちの世代にはわからん。それを若い奴らが「めんたいロック」という呼ぶのなら、それもいい。俺たちを見てきた、柴山、鮎川が育んだ福岡のロックを次の世代に残そうとする、そんなプロジェクトも、悪くないとも思った。


プロフィール
1946年福岡生まれ。西南学院大学中退。大学浪人中ロックの世界に飛び込む。幻のバンド「ヴァイキング」に所属しベトナム戦争時の米軍キャンプ等で活動する。その後、「ラブマシーン」を経て「ヴァイキング・バンド」を結成、その後上京するが事務所の売り出す方向性と合わずメジャーデビューを蹴り、やりたい音楽をする為に北九州に拠点を戻す。その後、「なしか」がプロ宣言した際にヴォーカリストとして参加。後縦靭帯骨化症を発症しステージで倒れる。その後は北九州市小倉でバーを経営し地元のミュージシャンを支え続けた。柴山俊之・鮎川誠の先輩にあたり、地元ミュージシャンに深くリスペクトされている人物。還暦祝いに友人井島正雄から曲を送られアルバム「My Own Ways」録音