はじめまして。
私は、ジャズ歌手です。北九州市で生まれ北九州市で育ちました。ロックを聴いていたのは16歳まで。その後は1930?40年代のアメリカ音楽に憧れ、20代の殆どをニューヨークで過ごしました。2011年の夏、友人からシーナ&ロケッツのコンサートチケットをもらいコンサートへ行きました。25年ぶりのロックでした。
シーナさんと鮎川さんの想いを、音を通じて感じました。
北九州で育った私は、歌謡曲やアイドルの次はめんたいロックを聴くのが当たり前だと思っていました。シーナ&ザロケッツ、サンハウス、ルースターズ、ロッカーズは中学生の私にとって憧れのスターでした。
ここ北九州はROCKの街だと思う。
私は、ニューヨークで暮らしていたので色々な所で様々な音楽を聴いてきたと思います。JAZZはNYの土地と空気に時間と一緒に染み付いています。ニューヨークでのメトロポリタンオペラは本当に素晴らしいけど、土地や空気にちょっとした違和感を覚えます。
北九州にはROCKが染み付いています。
シナロケやルースターズを生で聞くと、この街ならではのブルースを感じます。若い子がめんたいをやる時、そこには先人のミュージシャンへの愛と敬意とブルースがありました。
鮎川さんが、久留米・福岡・北九州で育ててくれた「めんたいロック」は「福岡県」のブルース。あえてトップページのコピーは「福岡」という地名を使わせて頂きました。シカゴブルースやニューオリンズジャズのように「めんたいロック」(福岡のロック)という言葉と音楽がこれからも生き続けてほしいという思いでサイトのタイトルをつけました。
福岡の音楽を育んで下さった方々の協力を得ながら、福岡ならではのロックの歴史やエピソードなどを集めていければと思っています。
16歳の頃にロックから離れ、20歳でジャズを歌い始め、偉大なジャズミュージシャン、グレイディ・テイトやボブ・クランショウとの温かな人間的な交流に出会い、2014年からはキューバで暮らしました。私のルーツから最も離れた彼らの音楽を知る事により、ミュージシャンが無意識に発信するそれぞれの音楽の中にあるミュージシャンの育った環境のバックグランドから備わって行く本質に気付いた事がこのサイトを作るきっかけと原動力になりました。
音楽はユニバーサル言語。言葉を超えて多くの事を教えてくれます。
福岡・北九州で「めんたいロック」というブルースの火がこれからも灯り続けますように。
Shoko “Seina” Shiraishi ホームページ